ようこそ!天空パラダイス!

20年来の夢がかなって手に入れた古民家。数年後の移住を目標に、大変なことも楽しみながら進めていこうと思います。

あれから9年

昨日は東日本大震災が起きた日から9年目にあたり、テレビやラジオでも色々な特集番組があったようですが、特に視聴しませんでした。見ても悔しさや悲しさや憤りが湧くだけというのが一番の理由で、決して忘れつつあるわけではありません。あの震災は私の人生で一番大きなターニングポイントで、記憶だけでなく体や日常にしっかり刻み込まれているので、それでいいのではないかと思っています。

阪神淡路大震災のとき、私は大阪にいました。何か手伝いたいと思いましたが、当時は今のボランティアセンターのような体制もインターネットもなく、各団体が新聞で募集するボランティアに参加するか、直接現地に行って手伝いを必要としている人を探すぐらいしか方法がありませんでした。市民からの依頼を集めてボランティアを派遣するNPOが西宮にあり、毎週末に通っていましたが、ボランティアの数が多すぎて仕事がなく、ニーズを集めるために市内を回ったり、ポスターを描いたりなどが多くて、直接支援にかかわった感じがなく不完全燃焼で終わっていました。

そして2011年の東日本大震災。当初は遠いので寄付金をしましたが、被害があまりに大きくて5月になってもほとんど片付いていなかったことと、ボランティア派遣の体制が整っていることを知って思い切って参加。できるかどうか不安でしたが、私のように何もできない人間でもいないよりはましということがわかり、ようやく阪神淡路大震災での借りを少し返せたような気がしました。その後もスキルを身につけるために森林ボランティア団体に入会したり(予想以上にハマってしまい困っていますが)、各地の災害でボランティアに参加したりするようになりました。私にとって人生の大きな方向転換であり、これによって残りの人生の方向が決まったと言えます。

「したいけどできない」と思っていたことが「やればできる」と思えるようになったのは大きな収穫です。おかげで最近は少し手を広げすぎて自分で自分の首を絞める状態ですが、やりたいことが沢山あるのは幸せだと思っています。

今朝のNHKラジオで、記者が常磐線に乗って南相馬駅と小高駅を訪れたという話があり、小高駅から続く商店街に賑わいが戻りつつあると話していました。小高は南相馬市ボランティア活動センターがある駅で、2017年に3回訪れています。初めは「駅前に商店街なんてあったっけ?」と思いましたが、駅からまっすぐ伸びる、泊まった旅館やお弁当を買ったお店がある道路のことだと気づきました。あの時は開いている店もほとんどなく、暗い道という印象でしたが、賑やかになってきたと聞いて嬉しく思いました。来年は震災から10年目になります。どこかのタイミングで行きたいと策略を巡らせていますが、訪ねたい場所が多すぎて悩むところです。

f:id:tenkufarm:20200312092059j:plain

ボラセンが設置されていた石巻専修大学に張られたボランティアたちのテント(2011年5月)

f:id:tenkufarm:20200312092036j:plain

クリスマスのイルミネーションで飾られた小高駅前の商店街(2017年12月)